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札幌地方裁判所 昭和61年(行ウ)4号 判決

原告 塚田孝之 ほか三名

被告 札幌中央労働基準監督署長

代理人 坂井満 和田寛治 ほか二名

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  札幌労働基準監督署長が昭和五六年一二月一四日付けで原告塚田孝之に対して労働者災害補償保険法(昭和二二年法律第五〇号。以下、同じ。)二二条の五の規定による葬祭給付の支給をしないものとした処分を取り消す。

2  札幌労働基準監督署長が右同日付けで原告塚田和夫、同前田有希及び同塚田洋治に対して労働者災害補償保険法二二条の四の規定による遺族給付の支給をしないものとした処分を取り消す。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二  被告

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  原告らの請求の原因

1  訴外亡塚田シゲ(以下「訴外シゲ」という。)は、札幌市の臨時的任用の職員として、札幌市南区小金湯六〇五番地に所在し農林の事業を行う事業所である札幌市経済局農務部農業センター(以下「農業センター」という。)に勤務していた非常勤の労働者であつて、就業の場所たる右農業センターと訴外シゲが日常そこで起居しそこから農業センターに通勤していた札幌市南区小金湯五七九番地六所在の住居たる自宅との距離及び位置関係は、右図面(以下「通勤経路図」という。)に表示のとおりである。

被災者の通勤経路図 〈省略〉

2  訴外シゲは、昭和五六年六月三日の就業終了時の午後五時頃、退勤するべく徒歩で農業センターを出発して、国道二三〇号線との交差点(通勤経路図表示のA点)に至り、退勤途上において同地点の北西約一四〇メートルの国道沿いにある武永商店又は土田商店でその日の夕食の材料等を購入するべく右A点で左折して、そこから約二〇メートル北西の札幌市南区小金湯六〇四番地一先の国道二三〇号線の路側帯(通勤経路図表示のX点)を北西方向に歩行中の同日午後五時一五分頃、国道二三〇号線上を北西に進行していた訴外久保雅義運転の普通乗用自動車に追突されて、第八胸椎骨折等の傷害を受けて即死した(この事故を以下「本件災害」という。)。

3  原告ら(原告塚田孝之は、訴外シゲの夫でその葬祭を行うべき者であり、その余の原告らは、いずれも訴外シゲの収入によつて生計を維持していた一八歳未満の子であつたもの。)は、昭和五六年八月三日、本件災害が労働者災害補償保険法(昭和六一年法律第五九号による改正前のもの。以下、同じ。)七条の定める通勤災害に当たるものとして、札幌労働基準監督署長に対して、原告塚田孝之においては同法二二条の五の規定による葬祭給付の、その余の原告らにおいては同法二二条の四の規定による遺族給付の各請求をしたところ、札幌労働基準監督署長は、昭和五六年一二月一四、本件災害は訴外シゲが就業の場所と住居との間の合理的な経路を逸脱している間に生じたものであつて通勤災害には当たらないとして、請求の趣旨記載のとおりの各不支給決定をした(この各処分を以下「本件各不支給決定」という。)(原告らは、昭和五七年二月一二日、本件各不支給決定を不服として、北海道労働者災害補償保険審査官に対して、審査請求をしたが、同審査官は、同年一〇月三〇日、これを棄却する旨の決定をし、原告らは、同年一二月一六日、右決定を不服として、労働保険審査会に対して、再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六一年一月二九日、これを棄却する旨の裁決をした。)。

4  しかしながら、本件災害が通勤災害に当たらないとした本件各不支給決定は、事実の認定及び法令の解釈・適用を誤つたものであつて、違法である。

すなわち、訴外シゲは、本件災害の当時、前記のとおり農業センターで稼働する一方、共稼ぎの夫婦及び三人の未成年の子からなる家庭の主婦としての務めを果たさなければならなかつたところから、就業の場所である農業センターからの退勤の途上において最短の距離にある武永商店又は土田商店に立ち寄つてその日の家族の夕食の材料等を購入して帰宅するのを常としていたものであり、本件災害時においても、右のような目的で就業の場所と住居とを結ぶ最短の経路をわずかに離れた際に本件災害に遭つたものである。

このように、訴外シゲが退勤に際して右のような経路をとつたことは、主婦としての務めを果たしつつ就業を続けるために必要かつやむを得ないものであつたのであり、夫婦の共稼ぎが一般化している現在の労働者の生活実態に照らし、また、被災者たる訴外シゲの勤務時間、就業の場所と住居との距離及び位置関係、家族構成等を総合して判断すると、訴外シゲがとつた右経路は労働者災害補償保険法七条二項にいわゆる「合理的な経路」に当たるものというべきであり、本件災害は、通勤と合理的関連性があるのであるから、通勤災害に当たるというべきである。

5  札幌労働基準監督署長がした本件各不支給決定は、昭和六一年三月三一日に施行された労働基準法施行規則の一部を改正する省令(昭和六一年労働省令第一〇号)附則2項の規定によつて、被告がしたものとみなされることになつた。

6  よつて、原告らは、被告に対し、本件各不支給決定の取り消しを求める。

二  請求原因事実に対する被告の認否

1  請求原因1の事実中、通勤経路図表示のA点とX点との間の距離が約二〇メートルであることは否認し、その余の事実は認める。

右二地点間の距離は、約四七メートルである。

2  同2の事実中、訴外シゲが通勤経路図表示のA点で左折して同図面表示のX点方向に向かつたのが原告らの主張するような目的のためであつたことは知らず、訴外シゲが右A点で左折後北西に向けて進行した距離が約二〇メートルであること(右図面表示のA点とX点との間の距離が約二〇メートルであること)は否認し、その余の事実は認める。

3  同3の事実中、原告塚田孝之を除くその余の原告らがいずれも訴外シゲの収入によつて生計を維持していたものであることは知らず、その余の事実は認める。

4  同4の事実関係の主張は知らず、法律上の主張は争う。

5  同5の事実は、認める。

第三証拠関係 <略>

理由

一  請求原因1ないし3及び5の事実は、訴外シゲが本件災害当時通勤経路図表示のA点で左折して同図面表示のX点方向に向かつたのが原告らの主張するような目的のためであつたかどうか、訴外シゲが右A点で左折後北西に進行した距離(右図面表示のA点とX点との間の距離)のいかん及び原告塚田孝之を除くその余の原告らがいずれも訴外シゲの収入によつて生計を維持していたものであるかどうかの点を除いて、当事者間に争いがない。

そして、<証拠略>によれば、訴外シゲは、本件災害当時、建設作業員である夫の原告塚田孝之及びその子であるその余の原告らと共に通勤経路図表示の住居たる自宅(右図面表示の○印)において起居して日常生活を営み、家庭の主婦としての家事その他の務めを果たす一方で、農業センターにおいて稼働して、原告塚田孝之ともどもその余の原告らを扶養していたものであること、農業センターと訴外シゲの右自宅との間の最短の経路は、農業センターを起点としてそこから国道二三〇号線に通じる道路を北東方向に約三〇〇メートル進行し、右国道との交差点(右図面表示のA点)で右折した後、右国道を南東方向に約三〇〇メートル進行して自宅に至り又はその逆の経路をたどるというものであること、訴外シゲは、農業センターへの出勤時においては、徒歩により右の経路をとつていたが、退勤時においては、食事の材料その他の日用品を購入することができる自宅の最寄りの商店が右交差点の北西百数十メートルの国道沿いにある武永商店又は土田商店であつたところから、農業センターを出発して右国道との交差点に至り、そこで左折して右商店に立ち寄り、夕食の材料その他の日用品を購入したうえ、再び右交差点に戻り、右国道を南東に進行して自宅に帰着するのを常としていたものであつて、本件災害時においても、右武永商店又は土田商店で夕食の材料等を購入するべく、右交差点で左折して、そこから四十数メートル北西の札幌市南区小金湯六〇四番地一先の右国道の路側帯を北西方向に歩行中に本件災害に遭つた(通勤経路図表示のA点とX点との間の距離も、四十数メートルということになる。<証拠略>によれば、原告らが右の距離を約二〇メートルであると主張するのは、測量の起点の取り方の間違いに起因するものであることを窺うことができる。)ものであることの各事実を認めることができ、他には右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  右認定事実によれば、本件災害が労働者災害補償保険法七条の定める通勤災害に当たるかどうか、ひいては本訴請求の成否は、結局、訴外シゲが就業の場所たる農業センターからの徒歩による退勤の途上において夕食の材料等を購入するべく前記の交差点において左折し、住居たる自宅に向かうのとは反対方向の最寄りの商店に向けて四十数メートル進行したことをもつて、訴外シゲが同条二項及び三項にいわゆる住居と就業の場所との間の「合理的な経路」を「逸脱」したものであるとし、本件災害がその「逸脱」の間に生じたものであると解すべきかどうかにかかるものであることが明らかである。

そこで、この点について検討すると、同法七条二項にいわゆる「合理的な経路」とは、当該住居と就業の場所との間を往復する場合に、労働者が、徒歩又は公共交通機関若しくは自家用自動車の利用等の交通の方法に応じて、当該往復のために地理的・経済的・時間的に合理性があるものとして一般に用いるものと認められる経路をいうものと解するのが相当である。そして、労働者が右のような経路を往復するに際して経路上又はその近くにある公衆便所の利用、公園での短時間の休息、売店での新聞又はたばこの購入等をしたとしても、これらの行為は、当該経路の往復に付随するものであつて、当該経路の往復という目的とは別途の目的に出た行為ということはできないから、これをもつて同法七条三項にいわゆる「逸脱」又は「中断」に該当するものということはできないけれども、他方、共稼ぎの主婦が退勤の途上で夕食の材料その他の日用品の購入をし若しくはクリーニング店に立ち寄るなどし又は単身の労働者が退勤の途上で夕食の摂取などをしたときには、それが該当労働者にとつて日常生活上又は就業を継続するうえでいかに必要不可欠な行為であつたとしても、これらの行為は、当該経路の往復という目的とは別途の目的に出た行為であるから、右「逸脱」又は「中断」に該当するものといわざるを得ず、このような場合においては、同法七条三項但し書き所定の限度において保護されるに過ぎない。

このように解したときには、例えば、共稼ぎ夫婦のそれぞれの就業の場所が同一の方向の近距離にあつて、二人が一台の自家用自動車に相乗りし、一方が他方の就業の場所を経由した後に自己の就業の場所に向かつたような場合であつても、それがなお「合理的な経路」の範囲内にあり、「逸脱」又は「中断」には該当しないものとすることができる場合があるものと一般に解釈され、そのような行政上の運用がされていることと一見して矛盾するようであるけれども、この場合において一方が他方の就業の場所を経由した後に自己の就業の場所に向かうのは、所定の停留場所を巡回する公共交通機関を利用した場合と同様に、一台の自家用自動車に行先を異にする複数の者が同乗したことによるやむを得ない結果であつて、これをもつて住居と就業の場所との間の往復という目的とは別途の目的に出た行為ということはできないから、先に述べたところとは、事案を異にするものというべきである。そして、以上の法理は、労働者災害補償保険法及び労働保険の保険料の徴収等に関する法律の一部を改正する法律(昭和六一年法律第五九号)によつて労働者災害補償保険法七条の規定が改正された前後を通じて、なんらの変わりはない。

以上と異なる原告らの法律上の主張は、結局、法令の解釈論を超えた立法政策に属することであつて、採用の限りではない。

三  以上によれば、訴外シゲは、就業の場所たる農業センターからの徒歩による退勤の途上において夕食の材料等を購入するべく前記の交差点において左折し、自宅に向かうのとは反対方向の最寄りの商店に向けて四十数メートル進行して、住居と就業の場所との間の経路の往復という目的とは別途の目的に向けた行為に出たのであるから、労働者災害補償保険法七条二項及び三項にいわゆる「合理的な経路」を「逸脱」したものといわざるを得ず、本件災害は、その「逸脱」の間に生じたものであることが明らかであるから、これを通勤災害とする余地はないものというべきである。

四  そうすると、これと同様の理由によつて本件災害が通勤災害には当たらないものとした本件各不支給決定にはなんらの違法はなく、原告らの本訴請求はいずれも失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法七条並びに民事訴訟法八九条及び九三条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上敬一 園尾隆司 垣内正)

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